yugusuki’s diary(ゆぐすき)

老化にあらがう中年男のいろいろブログ

腸活がどれほど大切か

「腸は第二の脳」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

ただの「たとえ」ではなく、科学的に根拠があります。

 

腸には、脊髄の神経細胞と同様に神経細胞があります。消化やぜん動運動の大半が、脳から指令を受けずに自律的にコントロールされているようです。

 

腸は、ただの消化管ではなく、感覚を受けて反応する「情報処理装置」に近い臓器なのです。

だからこそ、緊張するとお腹が痛くなったり、ストレスが続くと便秘や下痢が悪化したりする現象が起こります。

腸とメンタルが切り離せない関係にあるからです。

先日の朝も、通勤時間に急にトイレに行きたくなり、大変でした。。。。

では、なぜ腸内環境がメンタルに影響するのでしょう。

 

腸と脳は、迷走神経・自律神経・ホルモン・免疫系という複数の経路を通じて常に情報交換をしています。

慢性的なストレスは自律神経のバランスを崩し、腸の動きを乱します。

腸が動き過ぎれば下痢になり、遅くなりすぎれば便秘になる。

心の乱れが腸に直結する原因の1つは、このような仕組みです。

 

腸活は「善玉菌を増やせば健康になる」という単純な話ではありません。

腸内細菌の状態は、食事・睡眠・ストレス・炎症といった要素すべてと連動しています。

つまり、腸を整えるためには、体だけでなく心の状態も含めた全体のバランスを見直す必要があります。

脳・腸・腸内微生物の3つは、互いに影響し合うネットワークです。

腸は「脳の下請け」ではなく、脳と並んで体と心の状態をつなぐ中枢といっても過言ではありません。

 

「第二の脳」というより、「体調と心の状態をつなぐ、脳と対等な司令塔」と表現というが正確かもしれません。


腸内環境が整うと気分が安定しやすく、逆にストレスが強いと腸も乱れる。

このような双方向の関係が、腸活が「お腹の健康法」にとどまらない理由です。

 

心身のコンディションを整えるうえで、腸のケアは今や欠かせません。

いや、メンタルどころではなく、最も避けたいのは大腸がん。

 

メンタルうんぬんよりも、大腸がんを避けるためにも腸活は必須でしょう。

石油以外のエネルギーが普通に使える日まであとどれくらい

イラン情勢が続いているため、世界中でエネルギー政策を見直す必要性が高まっています。

 

石油資源に代わってどのようなエネルギーで経済を成り立たせようとしているのでしょうか。

いまさら言うまでもありませんが、中東の緊張は、エネルギーを輸入に頼る日本にとって死活問題ですね。

 

日本の経済はいつでもピンチに陥ってしまう状況にあります。

日本が選ぶ「脱・石油」への切り札とは何なのでしょう。

 

リスクに対応するため、日本政府は「石油に依存しない社会」へのシフトを進めているのでしょうけど、現実味はあるのでしょうか。

 

次世代エネルギー政策の「3つの柱」とは。
「原発再稼働」
かつては「脱原発」の機運でしたが、原子力発電を「最大限活用する」方針へ大きく動き始めています。

 

安全性が確認された既存の原発を順次動かすのは、仕方ない側面もあります。

より安全性が高く、効率的な「次世代型」の原子炉の開発も検討されています。

 

でも、個人的には、この機会をチャンスにして一気に「脱原発」へ進んでほしいですね。

核融合とか、まだ先の話かもしれませんが、最新技術を活かした石炭火力発電でつなぎながら、最新の技術を開発する進め方もあるハズです。

 

「再生可能エネルギー」

太陽光、風力、地熱などの再生可能エネルギーは必須です。


特に注目されているのが「洋上風力発電」らしいのですが、建設するにも部品調達のために、輸入に頼るしかないのだとか。

海に囲まれた日本にとって、海の上に風車を立てる洋上風力は、ポテンシャルが非常に高いと思うのですが。

 

風車のような形ではなく、棒状のような風力発電機も開発されていると思います。

技術的に工夫すれば、波の力を利用した発電も可能なのではないかと思います。

 

ペロブスカイト太陽電池という日本発の新技術も話題です。

どこの壁にでも貼り付けられるので、ビルの壁面や窓など、広い土地にパネルを設置しなくても発電が可能です。


「水素・アンモニア」

燃やしてもCO2を出さない水素とアンモニア。

ほんとうのところ、これらが最も可能性あるのでは?

電気をためることはなかなかむつかしいけれど、エネルギーを水素などのかたちで貯蓄しておけば、いつでも運べるし、使用できます。

 

ところで、水素は燃料としてわかりやすい一方で、アンモニアって何?

火力発電所で、石炭にアンモニアを混ぜて燃やすことで、CO2排出量を抑えながら発電する技術も導入され始めているそうです。

 

日本らしい技術で、細やかな制御が必要です。

アンモニアを燃やすと、二酸化炭素は排出されませんが、窒素酸化物は排出されると思います。

この排出物はどうなるのでしょう。

 

なんと、窒素酸化物にアンモニアを反応させると、窒素ガスと水になるそうです。

窒素ガスは大気中に普通に存在する成分ですから、窒素酸化物は無害化されるのです。

 

現実的には、石炭に混ぜてアンモニアを燃やすしかないそうですが、つなぎの技術としては良いのではないでしょうか。

 

ヨーロッパなどが進めた電気自動車への転換は、頓挫してしまっています。

電気をためることはなかなかむつかしいので、エネルギーの塊を持ち運べるようにしない限り、石油代替エネルギーは普及していかないでしょう。

 

そう考えると、やっぱり水素社会に向かうしかないのでは?と、個人的には妄想しています。

シレっとラジオが変化

日本のラジオ電波制度が変わりつつあります。

ラジオ好きでなければ関係ないハナシかもしれません。


でも実際のところ、今、大きな転換期を迎えています。

かつてラジオといえばAM放送でしたが、AM放送がこれまでの姿を大きく変えようとしています。


生活に密着したラジオがどのように変わったのか

テレビのニュースにも取り上げられないので知らない人が多いのでは。

まず、「AMからFMへ」の流れ


長年、広域放送として親しまれてきたAM放送ですが、多くの民放ラジオ局が「AM放送の休止や停波」を進めています。

 

ラジオがなくなるわけではなく、「FM放送(ワイドFM)」や「インターネット配信(radikoなど)」への移行を進めています。

 

なぜ?主に以下のような理由があります。


都市部でAMラジオが受信困難

高層ビルやマンションでは、AM電波が遮られたり、家電製品のノイズに影響されたりしやすいという現実があります。

一方、FM電波はこうした障害に比較的強いので、クリアな音質で聴けます。

FM電波の周波数帯は、かつてのアナログTVの1~3chの電波に近いです。

電波が届く場合はクリアな音質ですが、届かなくなるとまったく聞こえません。


コストと老朽化の問題

AM放送用のアンテナを見たことありますか。

かなり巨大です。

一方、FM放送用のアンテナは比較的コンパクトです。

 

巨大な送信アンテナは、維持にコストがかかります。

多くのAM放送用設備が更新時期を迎えているので、効率的で維持しやすいFM放送への切り替えをしたい、という経営上の狙いもあります。


NHKも大胆な再編

民放だけでなく、公共放送であるNHKも大きな変化をとげました。

2026年度(2026年4月から)、NHKはこれまでのラジオ3波(ラジオ第1、ラジオ第2、FM)を再編し、「NHK AM」と「NHK FM」の2波に統合しました。


語学番組や教育番組を支えてきた「ラジオ第2」は2026年3月29日で役割を終えました。

番組の多くは、「NHK AM」または「NHK FM」へ引き継がれました。

 

ラジオ第2で勉強してきたリスナーにとっては寂しいかもしれません。

しかし、音質が良くなると思えば、時代のニーズに合わせた進化です。

そもそも、電波を利用してラジオを聴いている人が、現状どれだけいるのでしょう。

ほぼ、radikoやらじるらじる経由ではないでしょうか。


これからのラジオとの付き合い方は、悲観的に考えられるかもしれませんが、楽観的に考えられるかも。

 

電波の形式が変わっても、ラジオが持つ「声の力」や「安心感」は変わりません。

むしろ、radikoなどで、いつでもどこでも高音質で聴けるようになり、ラジオ好きには好ましい環境になったともいえます。


今後は「電波を探してアンテナを伸ばす」のではなく、検索によって番組やパーソナリティーを探し、より簡便で身近なメディアになるかもしれません。

 

人物検索でラジオ番組を簡単に探せるし、曲名でもキーワードでも番組を探せます。

動画でも同じ状況なのですが、音声コンテンツ好きにとっては、より楽しみな環境になってきた、といえそうです。

 

ラジオ好き自体が少数派か。。。。

酪酸菌(らくさんきん)に注目

腸活といえば乳酸菌といわれて久しいです。

実際その通りなのですが、プロバイオティクスの点で酪酸菌(らくさんきん)が注目されてるそうです。

単に「お通じを良くする」という次元を超えて、腸活は次の段階へ移ってきているようです。

 

古くから知られる乳酸菌やビフィズス菌を凌ぐ勢いで注目を集めているのが「酪酸菌(らくさんきん)」です。

乳酸菌が「定番」であることに変わりはありませんが、では酪酸菌とはなんでしょう。


酪酸菌は「酪酸」を生成する菌です。

酪酸は、大腸の上皮細胞のエネルギー源になるそうです。大腸の上皮細胞が活動するための主要なエネルギー源(約60〜70%)となります。

酪酸は「短鎖脂肪酸」の一種です。全身の代謝改善、肥満予防、さらにはメンタルヘルスにも関連してるのだとか

さらには、炎症を抑える「制御性T細胞」を増やす働きがあるのだとか。

酢酸、プロピオン酸が主に肝臓などで代謝されるのに対し、酪酸は大腸のその場で細胞に活力を与え、腸壁のバリア機能を強化します。

免疫のバランスを整える力が乳酸菌よりも強力であると考えられています。


多くの乳酸菌は主に小腸で働きますが、酪酸菌(特にミヤリサンなどの芽胞形成菌)は酸や熱に強いので、生きたまま大腸まで届きやすい。

 

現代病の多くは大腸の炎症に関連している点を考えると、大腸で働く酪酸菌が大切であることも納得です。

 

乳酸菌は「腸内環境を整えるベース)」、酪酸菌は「より高度な免疫調節や代謝改善」というイメージです。

 

酪酸菌が注目される最大の理由は、強力な免疫調節能です。

花粉症などのアレルギー疾患や、自己免疫疾患、慢性的な炎症状態を鎮めるために、酪酸菌が果たす役割は大きいと考えられています

暴走する免疫系の「沈静剤」のような働きがあるそうです。


酪酸菌(特に日本で発見された宮入菌など)は以下の点でも優れています。

多くの乳酸菌は胃酸や熱に弱く、生きて大腸まで届くことが困難ですが、酪酸菌は「芽胞(がほう)」というシェルター構造を作ることができます。

強力な胃酸で壊れることを逃れ、大腸の奥深くで確実に発芽して活動できます。


酪酸菌が減少すると、腸管のバリアが脆くなり、全身性の慢性炎症を引き起こすリスクが高まります。
「酪酸菌を摂る」だけでなく、腸内で「酪酸をいかに作らせるか」が重要です。

 

腸内で酪酸菌の餌となる食べ物として、以下のものがあります。

もち麦、玄米、オートミールなどの穀物、

わかめ、昆布、ひじき、もずくなどの海藻

ごぼう、ブロッコリー、にんじん、大根、玉ねぎなどの野菜

納豆、豆腐、バナナ、りんご、アボカド

 

別に特別な食べ物ではないですね。

胃もたれと横隔膜や腸腰筋との関係

3月末は年度末ということもあり、毎年仕事が多忙となる繁忙期です。

 

おかげで、胃の調子がずっと悪く、夜はほぼ毎日、消化剤の入った胃薬を飲むハメに落ちいってます。

 

デスクワークによる姿勢の悪さが胃の不調を引き起こすことがあるそうです。

マッサージをしてもらっているときに教えてもらいました。

 

そのとき、意外にも「横隔膜」、「肋骨」という用語が登場しました。

胃の不調と横隔膜とがつながった瞬間です。

 

たしかに調べてみると、関係はありそうです。

 

特にデスクワークでは「猫背」や「前かがみ」の姿勢が、どうしても長時間続きます。

体幹の特定の筋肉が硬直してしまい、胃を圧迫したり自律神経を乱したりするそうです。

 

胃の調子を悪化させる主な筋肉、すなわち姿勢の悪化によって胃に影響を与える体幹の筋肉は、横隔膜(おうかくまく)、腹直筋(ふくちょくきん)、腸腰筋(ちょうようきん)だそうです。



横隔膜(おうかくまく)は、肺の下にあり、呼吸に関係しています。

猫背で背中が丸まると肋骨の動きが制限されて、横隔膜が硬く下がったままの状態になります。

胃は横隔膜のすぐ下にあるため、硬直した横隔膜が胃を上から圧迫し、胃もたれや膨満感の原因となるんだとか。

 

腹直筋(ふくちょくきん)は、お腹の正面にある「腹筋」です。

前かがみの姿勢が続くと、常に縮んだ状態で硬くなります。硬くなった腹筋が胃を圧迫し、消化不良や「逆流性食道炎」のような症状を引き起こすんだそうです。


腸腰筋(ちょうようきん)は、腰から股関節をつなぐインナーマッスルです。

長時間の座りっぱなしによってこの筋肉が縮んで固まります。腸腰筋が硬くなると、内臓の位置が下がる「胃下垂」のような状態となって、胃の働きを低下させる場合があるそうです。


姿勢が胃に悪影響を与えるなんて、今まであまり意識してませんでした。

 

でも、よく考えると、

猫背になると、内臓を収めるスペースが狭くなって胃や腸が押しつぶされます。

背中を丸める姿勢は、背骨を通る自律神経も圧迫、緊張させます。

胃腸の動きは自律神経(副交感神経)がコントロールしているため、自律神経の機能が悪くなると消化機能が低下するのは納得です。

 

理屈でわかっていますが、デスクワークの合間に胸を張るストレッチやお腹を伸ばすストレッチをすれば、筋肉の硬直を和らげられますよね。

 

実は、胃の不調に加えて「背中の張り」もあるのです。

今まで腰痛はほとんど経験がなかったのですが、腰の上あたりの背中が痛くなる機会が増えました。

 

「猫背による巻き肩」と「横隔膜の硬直」がセットで起きているといわれました。

 

背中の筋肉(脊柱起立筋や広背筋)が引き伸ばされて固まると、背骨を挟んで対面にあるお腹側の筋肉も縮んで胃を圧迫するそうです。


横隔膜と胃を同時に解放するには、「バンザイと深呼吸」が良いのだとか。

硬くなった横隔膜をストレッチし、胃への圧迫をリセットできます。

実際、椅子に座り、両手を高く上げるだけでかなり違います。息を吐くときに、へその上(胃のあたり)がじわーっと広がる感覚があれば正解です。

 

背中の張りを取るには、なにかとよく見かける肩回しが有効です。

「肩甲骨はがし回し」という方法で、左右両手の指先を、それぞれ左右の肩に置いた状態で、ヒジで「大きな円」を描くように、ゆっくりと回します。

 

なお、ちょうど胃の真裏あたりには、消化を助ける「胃兪(いゆ)」というツボもあるそうです。

仕事中に押せませんけど。

 

特に、呼吸が浅くなるのは大敵です。

呼吸が浅いと横隔膜がさらに固まるので、まずは「吐くこと」を意識します。

これは、ヨガと同じですね。

戦争の実況中継

戦争の実況中継をテレビで見ながらご飯を食べるような時代です。

自分は幸せな時間を過ごしている一方で、ミサイル攻撃で死んでしまう人たちがいる世の中です。

 

テレビに映される爆撃の光景と、食卓のおかず。

2つの現実が共存している最中です。

 

社会が抱える深い「病み」を感じる瞬間です。

 

まったく知らない人とはいえ、テレビ映像で普通に見てしまっています。

どこかで感性が麻痺しているかもしれません。

他人様の悲劇が、日常に溶け込んでしまっています。

食事をしながらミサイル攻撃の映像を眺めるのは、まるでゲームのなかで戦争をしているかのようです。

他人様の痛みがデジタル信号で目の前に送信されている現実。

食欲が減るわけでもなく。

 

日常で感じている幸せな時間は、あたりまえではないのでしょう。

不均衡があって初めて成り立つのが幸せな時間かも。

自分たちは、たまたま「幸運な傍観者」なのかもしれません。

 

昭和の戦争と違って、いまの戦争は、ハイテク兵器によって泥臭さがないかのように見えてしまいます。

本当はドロドロなはずなのに。

ボタン一つで攻撃できるミサイルは、ゲームっぽく見え、アナログな人間が逃げ惑う姿を想起させません。

実際の死や遺族の泣き叫びが薄れてしまいます。

 

食卓と戦場が同じ地球で起きていることを、どこかでわかっているけれど、実感はない。

自分は幸せで、あちらは不幸だという感覚です。

ちっぽけな自分自身は、このように思うしかないともいえます。

 

一方で、テレビ画面で戦争を見てしまうからこそ、日本の昭和時代にあった戦争の悲惨さを実感できる気もします。


以前の戦争の多くは、情報が遮断されたなかで、どこか遠くで起こっているということしかわからなかったはずです。

一般市民が知らぬ間に戦争に巻き込まれて、そして被害を受けて。

 

今の時代、国や軍による情報の隠蔽がむつかしいです。

一般市民でも、国トップがおかしな判断をしていることに気付ける時代です。

 

悲惨な現実を映像で確認でkるからこそ、今の平和を実感できるともいえます。

平和とは、ぼんやりした絵空事ではなく、「家族と食卓を囲めること」「空から火が降ってこないこと」という具体的なことである、と気づけます。

 

平和が「当たり前」ではなく、自ら獲得するもの、と実感させるのも、戦争の映像があるからこそかもしれません。

 

戦争の実況中継は、文字情報だけでは伝わらない戦地の空気感も伝えます。

食卓でこんな様子を見ると、なんとなく違和感を感じるその感覚が、国境を越えて痛みを感じている証拠です。

石油が減るから大変、というのは現実問題としてありますが、とにかく戦争自体をすんなり終わらせることに知恵を絞るべきです。

 

鈍感さと敏感さがひとりのなかで共存する矛盾

街中を歩いていると、遠くでトラックが大きな音でクラクションを鳴らしました。

 

遠くだったので自分は気になりませんでしたが、目の前を歩いていた女性が急に耳をふさぎました。

 

「そんな大げさな」と一瞬思いましたが、その女性は胸に手を当てながら歩いていました。やや苦しそう。

自分にとって平気に感じることが、他人にとっては苦痛である場合もあるのですね。

人によって、鈍感さと敏感さが違う、という典型例かもしれません。

 

鈍感さと敏感さが共存しているのが一般的な人間であると思います。

一人の人間でも特定のことに対して鈍感である一方で、別の特定のことに対しては敏感です。

 

「自分はなんて鈍感なんだ」と落ち込むこともあれば、逆に「どうしてこんなに細かいことが気になってしまうのか」と、過敏な自分が嫌になることもあります。

 

自分自身のなかに「極端な二面性」があるともいえます。


一人の人間のなかに「鈍感さ」と「敏感さ」が共存しているのは、ふつうです

すべてにおいて鈍感な人、すべてにおいて敏感な人は存在しません。

 

まるで「感度の悪いムラのあるセンサー」のように、特定の刺激には過剰に反応し、別の刺激には驚くほど無関心です。

 

人間関係のすべての問題はここにあるのかもしれません


特定のことに非常に敏感であるとき、そこだけに膨大なエネルギーをついやしています。

仕事のミスに過剰に敏感な人は、周囲の顔色、書類の細部に全神経を集中させます。

他のこと(例えば、自分の体調の変化、同僚との人間関係など)に使うエネルギーが残っていません。

 

過去に言葉で傷ついた人は、他人の口調の微細な変化に敏感になる一方で、自分が興味のない分野(例えばファッション、最新技術など)については、どんなに大きな変化があっても、びっくりするほど鈍感です。

 

これはもともとある脳のしくみのようです。
自分にとって重要な情報だけを拾い集めて、それ以外をカットすれば、脳のオーバーヒートが抑えられます。

 

自分自身にもきっとあてはまりますが、「自分の内面」には敏感でも「他者の状況」には鈍感です。逆もありきです。

自分の不安や体調不良に早く気づくのに、目の前の友人が落ち込んでいることには気づかない。


「鈍感」さは、もともと自分自身を守るための自己防衛策かもしれません。

もし、世界中の悲しいニュース、街中の騒音、他人の些細な悪意のすべてに敏感に反応していたら、、、、

 

つまり共感力があまりにも高過ぎたら、精神は瞬時に崩壊します。

あえて「鈍感でいる」というバリア機能が働いているのかもしれません。

 

敏感さが限界を超えた結果、心が強制的に鈍感さを引き寄せて自分を守ろうとする防衛反応。

燃え尽き症候群や引きこもりもそうなのかもしれません。


一人の人間のなかに「繊細さ」と「無神経さ」が同居しているのは、自分を責める理由になりません。

この矛盾こそが人間です。


「自分は敏感すぎて生きづらい」と感じている人も、実はどこかで誰かの気持ちを無視するほど鈍感な瞬間を持っているハズです。

逆に「自分は冷めていて鈍感だ」と思っている人も、自分の趣味や譲れないこだわりに対しては、驚くほど鋭い瞬間を持っています。


この「ムラ」を自覚しているか、自覚していないか、で大違いです。

自己の理解、他者の理解の前提として非常に重要です。

 

相手が自分のこだわりに気づいてくれなくて怒りを感じたとき、「別の何かに敏感で、悪意で鈍感なわけではない」と考えることができれば、人間関係はちょっと良くなるかも。

悪意であった場合は、その人自体に対して鈍感になるしかない。

 

自分にとって重要な問題に敏感に対応し、それ以外のことには鈍感に対応する心理は、まるで不良品のセンサーです。機械のセンサーなら出来損ないです。

 

でも、人間に限っていえば、すべてを均一に感じ取る必要はありません。

「鋭い部分」と「鈍い部分」のバランスを自覚し、状況に応じて受け入れていくことができれば、健全なメンタルを保てます。

 

こんなこと考えている自体、敏感な人間だからなのでしょう。